「ソトコト」5月号特集「ソーシャルな子育て」

2012年5月18日

ふだんはできるだけ本は買わずに図書館から借りて読むのですが、この雑誌「ソトコト」2012年5月号だけはどうしても読みたくて買ってしまいました。
その特集は「ソーシャルな子育て」。この雑誌は「ソーシャル&エコ・マガジン」を銘打っているだけに「ソーシャル」がとてもお好きなようです。
そういえば、SNS(ソーシャル・ネットワーク)をかわきりに「ソーシャル」がはやっているみたいです。この前聞きにいった東大の講演は「ソーシャル・ラーニング」をテーマにしていました。その他にソーシャル・リーディング、ソーシャルな生き方、などなど。
この雑誌の特集には「ソーシャルな働き方」「ソーシャルな買い物」「ソーシャルレストラン」という記事が出ていました。
ところで「ソーシャル」とはどういうことなのでしょうか?

この特集にはこんな説明がありました。

「社会みんなで子どもを育てる!」
「子どもは親を見て育つ」と言いますが、いやいや、親どころではありません。
ちっちゃな体とファンタジーいっぱいの頭をフル稼働させて、
じーっくりとながめているのは、きっと「しゃかい」。
家族、友人、地域。あなたの暮らすコミュニティが、子どもを育てます。
ソーシャルな子育てってどんなもの? 答えはこの特集の中に!

そしてこんな記事がありました。

「バリアが子どもを強くする。きょうは里山へ。」
10年前から里山保育に取り組む、千葉県木更津市の「木更津者会館保育園」。
5歳児のクラスは、保育日数の6分の1にあたる50日近くを、里山の分園で過ごしている。
里山に行けば、子どもたちはなんでも全力投球だ。
力いっぱい走って、転んで、笑って、泣いて。ケンカするのだって楽しい。
そんな不思議な力をもった里山へ、そろそろ出発の時間。今日はどんな1日になるのでしょう。

この里山保育のオキテがあるそうです。

1.本人がやる気になる「縊死する力」を養う。
2.「汚い、臭い、危ない」を排除しない。
3.葛藤体験をして自分の人生を生き抜く強さをもつ。
4.背伸びしないとできない課題をこなす体験をする。
5.ケンカはとことんやって、中途半端に感情をためない。
6.日本には豊かな生態系の里山がある。

こんなページもありました。見出しだけ拾ってみます。

コンピューターにはできない能力を育てる。
読み聞かせは毎日する。
人を感動させられるのも、ステキな感性です。
早期教育では賢い子は育たない。
自らはじめたいと思ったときが、教育のスタート。
「横並びがいい」が子どもの個性の目をつぶす。
コミュニケーション力は「聞く」「共感する」「考える」「励ます」
「お利口さん以外の言葉でほめる。
上手にできたら、何通りもの方法で誉めてあげる。
「問題児」の部分こそ伸ばしてあげる。

と、まあ、こんな魅力的なキャッチフレーズが満載でした。
私が一番気に入った言葉は、

里山は障害だらけ。「バリアフリー」の反対。「バリアフル」だ。
そうした場面で葛藤する体験こそが「自分の人生を生き抜く強さ」を育てる。

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いよさんを背景にした「手紙−親愛なるこどもたちへ」のポスター

2012年5月17日

そういえば、もう3年くらい前に次のようなポスターを作って、家の前に掲示しておいたことがある。この「手紙」の詩は、いよさんの気持ちをよく代弁していると思ったからである。

このポスターを家の前に掲示しておいたら、あのポスターをぜひくださいとご近所の方から申し出がありました。
教会の掲示板にも掲示してくださいと主任司祭に頼んだのですが、あんなに文字がたくさんあるのは誰も読まないよということで未だ実現していません。
でも、読む人もいるのですよね。

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有馬晴信公没後400年記念祭に行きました。

2012年5月15日

キリシタン大名のひとり、有馬晴信の没後400年にあたる5月6日、その記念祭が山梨県甲斐大和において行われました。
約80人ほどの人がこのささやかな集いに参加しました。わたしも主催者の千葉さんから誘われて参加したのですが、ビデオ撮影を頼まれたので、SIGNIS のもうひとりとともにビデオ撮影をいたしました。近いうちにその時に撮影した映像を YouTube にでもアップする予定です。

有馬晴信は、大村純忠、大友宗麟とともに九州のキリシタン大名で、特に天正遣欧使節を派遣した大名として歴史にその名を残しています。
しかし、岡本大八事件に巻き込まれ、この地に流讁の身となり、更に処刑されてしまいます。キリシタンであったことで切腹を拒否し、最期は打ち首となってその生涯を閉じます。最期まで信仰を貫いた一人であったといえましょう。
この式典には、有馬家の末裔にあたる有馬家当主の方、妻の菊亭ジュスタのご子孫にあたるかた、さらにこの有馬家最期の地を守られてこられた方や甲州市教育委員会の方も参加していました。
司式はパウロ会の山内神父、このあたりを司牧されている横浜教区の田代神父も参加されていました。

式の開始のころ激しい雨と風が会場を襲いましたが、やがてそれも上がり、なんとか無事に式典を終了しました。
式典の中で、コウロス神父が書いたイエズス会の報告書のなかの、有馬晴信公の最期の様子の場面を描いた部分も朗読されました。

式後に、甲斐大和市の自然教育センターに会場をうつし、そこで懇親会が催されました。懇親会では有馬晴信を偲ぶスピーチがいくつか用意されていました。特に印象に残ったのは「岡本大八事件」について述べられた話しでした。さらに日本キリスト教史の五野井隆史氏の話も面白かったです。

この催しに参加してもっとも感動したのは、この催しを主催した人たちが高輪教会の婦人会有志の方たちであったということでした。高輪教会は江戸の殉教者とくに原主水ゆかりの教会だったということもあるのでしょうが、それにしてもよくぞここまで作りあげられたことに驚嘆しております。

有馬晴信というキリシタン大名はどういう人物だったのか、もうすこし調べてみたくなりましたが、なかなか人柄と信仰を偲ばせるものが残っていないのが残念です。

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「増上慢」と「卑下慢」そして「我慢」

2012年5月2日

「ゾウジョウマン」と「ヒゲマン」という言葉を聞きました。ちょっと面白い言葉だったので調べてみました。
「マン」は英語の『人』だとばかり思っていたのですが、違いました。「慢」という字です。あの「高慢ちき」の「慢」でした。

もともとは仏教用語です。ここにはこんな風に説明がありました。

仏教で説く煩悩の最大の根元とは三毒という名を持つ『貪瞋痴(とんじんち)』貪(むさぼり)瞋(いかり)痴(おろかさ)です。この煩悩を詳しく示せば、貪瞋痴慢疑悪見です。1.貪(とん)2.瞋(じん)3.痴(ち)4.慢(まん)5.疑(ぎ)6.悪見(あくけん)とは1,(むさぼり)2.(いかり)3.(おろかさ)4.(のぼせ・おもいあがり)5.(うたがい)6.(あやまった見方)です。
この、4番目の「慢」をさらに分類すると
 1.高慢(自分の方が上だと思う)
 2.過慢(同上とほぼ同義)
 3.慢過慢(相手が上であっても同等だと思う)
 4.我慢(自分の考えは正しいという思いあがり)
 5.増上慢(悟った、極意を得たという思い上がり)
 6.卑下慢(劣等感に落ち込む)
 7.邪慢(自分には徳があると思いこむ)  
の七種です。

 この説によれば、「我慢」というのは「おごりたかぶること・自分を偉いと思い他人をばかにする」という意味がありますから、我慢しているというのは自分の思いを素直に表現できずに自分の心を偽っていることになり、イライラや怒りを溜め膨らませる要因になるということなのですね。
 「卑下慢」というのも「慢」つまり「おもいあがり」というのも興味深いところです。つまり「慢」というのはありのままの自分を認めようとしないことなのでしょう。
 この「慢」の反対になる言葉はなんでしょうか? 「謙遜」の「謙」の字か、「遜」の字でしょうか? ところで「遜」という字は何て読むのかな。「へりくだる」でしょうか。「へりくだる」で漢字変換すると」「謙る」も「遜る」もでてきます。

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天正遣欧少年使節の歌の「吃驚仰天」

2012年4月30日

友人がこんな歌を見つけて紹介してくれました。吃驚仰天です。
中高生はこれをどのくらい知っているのかな?

ザビエルや高山右近やペトロ岐部、金鍔次兵衛の歌もないかな?

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富士霊園のサクラはそれはそれはみごとでした

2012年4月29日

4月21日に富士霊園に母の納骨のために行ってきました。
サクラが満開でそれはそれはみごとでした。
正面の丘の展望台に登るとそのみごとさを堪能できます。この映像は展望台にて撮影して、その後階段を下りながら撮影したものです。

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清泉のソフトボールグランドを見下ろすカリンの木

2012年4月28日

 今日4月28日、大船の清泉女学院中学高等学校の文化祭に行ってきました。私は毎年ここの文化祭には行っています。去年もその前の年も車いすで母と一緒だったのですが、今年はひとりでした。
 一番の目的はソフトボール部の招待試合を見に行くことです。今年は湘南白百合学園が相手校でした。私はソフトボール部顧問だった時代にこことは20度くらい試合をしてきましたが、勝ったのはわずか3度しかない強敵です。それが今日の試合では12対2で圧勝したのです。投手力、攻撃力、守備力すべてにおいて清泉の方が勝っていました。私の知る限り、最強のチームと言うことができるでしょう。とにかくすごかったのです。久しぶりに県大会にも出場するそうです。
 清泉にいくもう一つの目的があります。それは私が退職する時にひそかに植樹したカリンの木とカラタネオガタマの木が無事に育っているかを確かめに行くことです。誰にもことわらずに密かに植えたので心配なのです。ソフトボールグランドを見下ろすところと裏門から学校に入るところに1本ずつ計4本を植えました。
 それが悲しいことに、ソフトボールグランドを見下ろすところに植えたカリンの木以外はもうありませんでした。裏門から入るところに植えた2本は跡形なくきれいに刈り込まれていました。それがカリンやカラタネオガタマというとてもいい香りを発する木だということを知らずに切ってしまったものと思われます。残念でした。
 最後に残されたカリンの木はすくすくと育っていました。このぶんだと花をつけ実もつけるだろうと思います。そのときにそれがカリンの実でとても良い香りのする木だということを誰か気がついてくれるでしょうか?

 今年の高3は、私が顧問をした時に中1だった学年です。彼女たちが卒業すると私の知らない部員たちになります。その時は部員たちも少なかったのですが、今では中学高校あわせて紅白戦ができるくらいの部員がいます。とても頼もしい限りです。また来年も来ようと思いました。

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真鶴教会「春のチャリティコンサート」に行きました

2012年4月26日

4月22日に真鶴教会のチャリティコンサートに行きました。
3月以来、湯河原で月1回行っている「湯河原よきおとずれCLC」の集まりに出席するときに真鶴教会のミサに出ることにしたので、このチャリティコンサートで訪問するのは3回目です。

ここの教会は湯河原教会の巡回で月2回日曜日にミサがあります。この4月にそれまで小田原教会の主任だった岡村神父さんから高野神父さんに異動がありました。
日曜日には15人くらいの信者さんたちがミサに参加しているこじんまりした教会です。でもそこがいいんですね。

その小さな教会が「春のチャリティコンサート」を開いたんです。教会の聖堂に超満員のお客さんが来ました。といっても100人くらいです。

今回のコンサートの出演者は、ハープの瀬川真未さんとフルートの yumi さん。行きのあったステキなコンビで、とてもアットホームな雰囲気のコンサートでした。
グノーの「ヴェマリア」やマスネの「タイスの瞑想曲」滝廉太郎の「花」ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」などの小曲の他にニーノロータの「ソナタ」が演奏されました。ニーノロータって「ロミオとジュリエット」や「ゴッドファーザー」などの映画音楽の人なんだけれど、ハーブとフルートのためのソナタも作曲していたんですって。

このチャリティコンサートでは参加費は無料でしたが、東日本大震災復興支援のための献金箱が設けられていました。そしてコンサートの終わりにはなんと演奏者のお二人が献金箱をもって呼びかけておられたことにもビックリでした。

ともかくもこの小さな教会のメンバーが総出で行っているということが感じられてとてもうれしくなりました。この教会の希望と未来がわたしたちを力づけてくれたそんな印象でした。

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ポプラの木でできたまないた

2012年4月25日

3月に釜石に行ったときの帰り、遠野道の駅「風の丘」によったときに、ポプラの俎(まないた)があったので思わず大枚1900円で買ってしまいました。

このまないたの木目を見ているととてもふしぎな感じがしたからです。
木目の部分がなぜか立体的に見えるのに、手で触ってみるとまったく平らなのです。
ポプラの木は幹を切ると、こういう木目なのでしょうか。

この俎の製造者は遠野市の菊地光典様と書かれていました。
とても不思議な感じのする俎を作っていただいてありがとうございます。

ベルリンの壁の前で弾いたマエストロ

2012年4月14日

「カトリック生活」2月号の「カトリック・サプリ」に竹内節子さんがこんな話しも紹介していた。

 1989年の11月の初め、長い間難攻不落かに見えていたベルリンの壁が崩れた。東西の長い冷戦に雪解けが訪れ、分断されていた人たちが互いに『あちら側』に殺到したのだ。パリでそのニュースを知らされたチェロの巨匠ロストロポーヴィチは、居ても立ってもいられなくなって、その二日後に現場に駆け付けた。パトロンでもあった会社経営者に電話して自家用ジェット機を飛ばしてもらったのだ。
 ロストロポーヴィチは、反体制作家のソルジェニーツィンを支援したことでソ連国籍を剥奪されて15年間も国外追放されていた。その間も「自由」のためにあらゆる方法でアピールを続けていた。ベルリンの壁の崩壊は、二つに裂かれていた自分の心が一つになることだったのだ。
 そのときに彼の心に浮かんだのは、チェロをもって倒れた壁の前に行き、神に感謝の祈りを捧げたいということだ。誰かのために演奏するというのではなかった。
 演奏するのはバッハの無伴奏チェロ組曲、バッハの音楽は彼にとって神につながる「言葉」だったからだ。男二人とチェロ1台は、飛行機から降りてタクシーに乗り、壁のチェックポイントを立て、すでに若くない巨匠は、すぐにバッハを弾き出した。
 私たちはこのときの様子も今、ウェブ上で見ることができる。彼のすぐそばに小さな人垣ができたものの、後ろの壁に何かを書き続けている人もいれば、すぐそばを通り過ぎていく人もいる。おおぜいの人がてんでバラバラに自由と平和の訪れに歓喜し、興奮しているのだ。ワシントンの通勤時間と違って、そこにあるのは非日常であり、歓喜の昂揚だった。
 雑踏の路上の演奏は、音響や完成度の点ではそれなりのものでしかなかった。けれども彼が誰だか知らないでまわりにいた人たちと彼は確かに何かを分かち合っていた。一人の若者が、サラバンドを聞いて泣いていた。

この映像を YouTube で見つけた。

これを見て何を感じ、何を考えたであろうか?
竹下さんはこんなふうに述べていた。

 聞こえていても聞いていない、きいていてもわからない、わかっても共感しない、そんなことはたくさんある。「耳をすまして分かち合う」というのは、意志によって起こすアクションだ。耳をすまして分かち合おうと一度決意すれば、わたしたちは静寂を聞くこともできる。
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 口を閉ざして傾聴することは、豊かな静寂の大洋の中深く潜り込むことでもあるし、静寂が自分の中に満ちてくるままにすることでもある。そうすることでしか聞こえてこない聖霊の声があるのだ。
 「傾聴」とは、祈りのひとつのかたちにほかならない。

この最後の分が気に入っている。祈りに対する神の応えは「傾聴」しなければ聞こえてこない。だから聖堂で祈ることや黙想会で祈ることが必要なのであろう。

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